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柏レイソルを考えるブログ

Jリーグで最も魅力的なチーム柏レイソルについて考えるブログ

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  • 日立柏スタジアムの歴史4(市民スタジアム構想の終了)
    ■市民スタジアム構想の終了
    「総合スポーツ文化スタジアム構想」は、平成23年(2011年)まで柏市の事業として計画されていたが、行政評価は「構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とするため,早期の構想実現は困難」という報告が繰り返された。
    柏レイソルと日立製作所が自らの手でスタジアム改修を計画すると、平成23年度に担当部署を企画部・ホームタウン推進室から地域づくり推進部・協働推進課に移し、事業としてのプラライオリティは下がる(事業Noが1から5へ格下げ)こととなった。平成24年度以降は「総合スポーツ文化スタジアム構想関連事業」が柏市の事業として計画されることはなくなり「市民スタジアム構想」は実現することなく終了となった。

    ■平成19年以降の柏市における行政評価




    <平成19年 2007年>
    企画部・ホームタウン推進室
    本構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とするため,近年の財政状況を勘案すると早期の構想実現は困難な状況にある。㈱日立柏レイソルに加え,現在の日立台スタジアムの所有者である㈱日立製作所や各種関係機関との協議を重ね,今後の方向性を検討したい。


    <平成20年 2008年>企画部・ホームタウン推進室
    本構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とするため,近年の財政状況を勘案すると早期の構想実現は困難な状況にある。㈱日立柏レイソルに加え,現在の日立台スタジアムの所有者である㈱日立製作所や各種関係機関との協議を重ね,今後の方向性を検討したい。

    <平成21年 2009年>
    企画部・ホームタウン推進室
    本構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とするため,近年の財政状況を勘案すると早期の構想実現は困難な状況にある。このため当面は㈱日立柏レイソル並びに施設所有者の㈱日立製作所においてサッカー場の改修整備を進めることとなった。市では、今後、サッカー場の整備計画に合わせて、必要な環境整備に関する調査研究を進める。

    <平成22年 2010年>
    企画部・ホームタウン推進室
    本構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とすることから,近年の財政状況を勘案すると早期の構想実現は困難な状況にある。このため当面は,㈱日立柏レイソル並びに施設所有者の㈱日立製作所においてサッカー場の改修整備を進めることとなった。
    平成22年,3000席増席のスタジアム改修工事計画が公聴会,建築審査会の承認を受け,次年度の工事実施の中で地元対策や交通対策等について引き続き関係機関と調整を図ることとなる。

    <平成23年 2011年>
    地域づくり推進部・協働推進課
    本構想には,クリアすべき法的条件も多く,また多額の資金を必要とすることから,近年の財政状況を勘案すると早期の構想実現は困難な状況にある。このため当面は,㈱日立柏レイソル並びに施設所有者の㈱日立製作所においてサッカー場の改修整備を進めることとなった。
    平成22年,3000席増席のスタジアム改修工事計画が公聴会,建築審査会の承認を受け,翌23年度の着工により,平成24年3月に完成した。


    平成24年 2012年以降

    総合スポーツ文化スタジアム構想関連事業の報告なし

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  • 日立柏スタジアムの歴史3(市民スタジアム構想)
    ■市民スタジアム構想
    2001年、柏市はスポーツを通じて人間性豊かな地域社会を創造しようとする施策『スポーツ文化スタジアム構想』をまとめ、その構想の中で「建設予定地として最適なのは日立柏総合グラウンド」と結論づけた。
    新スタジアム建設に前向きな方針を打ち出した柏市だったが、実現に向けては①柏の葉移転を中止した千葉県との関係性の問題、②柏市が整備しようとしている土地および施設が民間企業(日立製作所※当時)所有であることの公共性の問題、③スタジアムを建設する柏市の予算の問題—―があったため、『市民スタジアム構想』は構想のまま実現することはなかった。



    ■柏市長の考え
    (当時)柏市長であった本多晃氏は市民スタジアム構想について「レイソルを市民総合スポーツクラブの中核にしたい」と述べていた一方で、「(当時)今、何十億、何百億かけてスタジアムを作ることに関しては市民の合意を得ることは難しい」と財政的な問題点をあげていた。
    また「施設よりもまず組織」という考えを示し「施設の整備よりも施設が利用される体制を作るほうが時間がかかる。組織づくりが行政の仕事、継続的にやらなければならない」と述べ「2005年以降、財政問題や施設所有問題がクリアされるのを待って日立柏スタジアムを改修すべき、その間まで柏の葉を使ってもらいたい」という個人的な考えを示すのみで、スタジアム整備に積極的に動くことはなかった。


  • 日立柏スタジアムの歴史2(柏の葉への移転問題)
    ■1999年 柏の葉公園総合競技場完成と移転問題
    柏の葉公園総合競技場が1996年の着工から3年の工期を経て完成した。

    柏の葉でのホームゲームが開始されたが、サポーターからは試合開催へ強い反発があった。
    こけら落としとなった1999年4月23日の浦和レッズ戦、5月22日開催のヴェルディ川崎戦では、柏の葉での試合開催反対へ横断幕(「来ヅライ・見ヅライ・柏の葉」「史上最低のスタジアム」「本拠地移転を認めない!!」といったもの)が掲げられ、発煙筒や爆竹の投げ込みや警備員と揉み合う騒ぎとなってしまった。

     
    ■ホームスタジアム移転の撤回
    柏の葉公園総合競技場での試合開催反対への動きを受け、レイソルは柏の葉へのホームスタジアム移転を撤回した。これは2001年11月にサポーターが、12万人の署名を添え日立柏サッカー場の存続を日立製作所に要望したことに加え、レイソルから千葉県への競技場の駐車場整備、ゴール裏スタンドのかさ上げの要求に対し理解が得られなかったことが大きかった。
    移転撤回以降、2008年までレイソルの主催試合は、日立柏サッカー場をメインのホームスタジアムとして、年に5試合程度、集客が見込める試合(FC東京や横浜FM等)やカップ戦は柏の葉スタジアムで開催され、浦和等のかなりの集客が見込める試合や日立製作所のマッチデイは国立競技場で開催する等、それぞれスタジアムを住み分けし利用してきた。



    ■試合開催記録
          日立柏 柏の葉 
    1999年
       リーグ 10          4  ※国立1
       カップ 4            0
    2000年
       リーグ 10          5
       カップ 1            0
    2001年
       リーグ 10          4  ※国立1
       カップ 1         1
    2002年
       リーグ 11          2  ※国立2
       カップ 0      3
    2003年
       リーグ 11     3  ※国立1 
       カップ 2    1
    2004年
       リーグ 11     3  ※国立1
       入替戦 1
       カップ 2    1
    2005年
       リーグ 11   4  ※国立2
       入替戦 1
       カップ 3     0
    2006年
       リーグ 21   3 
    2007年
       リーグ 12     3  ※国立2
       カップ 3     0
    2008年
       リーグ 15     0  ※国立2
       カップ 0    3
    2009年以降は全て日立柏スタジアムで主催試合を開催


  • 日立柏スタジアムの歴史1(スタジアム完成まで)
    柏レイソルの歴史は日立柏スタジアムの歴史。現在の形となってから25年を振り返る。


    ■1986年 日立柏総合グラウンド完成
    もともと戦前から操業していた日立製作所柏工場の跡地に総合グラウンドを整備したのが日立台のはじまり。日立製作所サッカー部の練習拠点は東京都小平市にあったが施設完成後に柏市に移転した。


    ■1991年 日立柏スタジアムの完成
    日立製作所サッカー部時代からの練習用グランドをサッカー場として改修し、日本リーグ・JFL時代のホームスタジアムとして利用を開始した。  

    当時の観客席は仮設型のスタンドであり、メインスタンドとバックスタンドの位置は逆だった。選手はメインスタンドの下(現在のバックスタンドの下)からスタジアムに入場していた。

    Jリーグ参入に向けレイソルは日立柏スタジアムを仮のスタジアムと位置付け、他のJクラブと同様に公共施設をホームスタジアムとして使用することを念頭に置いていた。
    ホームスタジアムの候補地を、柏の葉公園内に建設される陸上競技場(後の柏の葉公園総合競技場)に定め、1992年にホームスタジアム化に向けた計画変更を千葉県へ要望、1994年には収容人数の変更も要請した。千葉県はレイソルの要望を受け入れたが、競技場の完成は1999年まで遅れることとなった。


    ■1995年 日立柏スタジアムをJリーグ規格に改修
    レイソルは1994年に悲願のJリーグ昇格を決めたが、柏の葉公園総合競技場の完成が遅れていたため、急きょ日立柏スタジアムに手を加え収容人員15,900人に改修し、Jリーグ開催に対応することとなった。
    昇格後、初のホームゲームは国立競技場(サントリーシリーズ第2節の鹿島戦)での開催となったが、第4節横浜フリューゲルス戦(2-1でリーグ初勝利)を日立柏スタジアムで開催し、Jリーグでの日立柏スタジアムの歴史もこの試合からはじまった。

    Jリーグ規格に急きょ改修したスタジアムは、メインスタンドとバックスタンドを入れ替え、メインスタンドは現在の形に改修された。ゴール裏もホームチームとアウェーチームの位置を入れ替え、ホームゴール裏に選手紹介ボードと電光掲示版が設置された。


  • 柏レイソルアカデミー出身選手について考えるその4

    その4.柏から世界へ旅立つ選手
    レイソルはクラブとしてはもちろん、選手個人としても『柏から世界へ』をめざし実践している。”世界で活躍できる選手”をめざす育成は、柏レイソルアカデミーの理念のひとつだ。


    ■レイソルから世界のクラブへ

    海外リーグや日本代表で活躍をみせているアカデミー出身選手といえば酒井宏樹。酒井は2009年にトップチームに昇格、2011年から右サイドバックとしてレギュラーに定着すると大ブレイク。同年にU-22日本代表、A代表にも選出、J1リーグ優勝と共にベスト11、ベストヤングプレーヤー賞を受賞した。2012年にドイツのハノーファー96へ移籍し、その後、ロンドン五輪、ワールドカップアジア予選、コンフェデレーションズカップ2013、 2014 ワールドカップの日本代表に選出されている。2016年にフランスの名門オリンピック・マルセイユへ移籍し、2018ロシアワールドカップに向けて世界からも注目される存在になっている。



    工藤壮人もレイソルから海外に渡った選手。酒井と共に2009年にトップチームに昇格した工藤は、2010年から出場機会を伸ばし、2011年のJ1優勝に貢献、2013年にはレイソルの背番号9を背負うまでの主力選手となった。同年にはナビスコカップMVPを受賞、日本代表にも選出され得点も記録した。2016年にMLSのバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍したが、怪我もあり1年でJリーグの広島に移籍した。



    ■アカデミーから世界へ
    アカデミーから直接世界へ羽ばたく選手もいる。伊藤達哉はUAEで開催されたユース世代の国際大会でMVPを受賞するなどの活躍が認められハンブルガーSVに入団した。2017年にはトップチームで先発出場するなど、さらなる飛躍が期待されるドリブラーだ。



    現在、千葉に所属する指宿洋史もアカデミーから海外クラブに入団した選手。酒井、工藤とアカデミーでの同期である指宿は、スペインの ジローナFC、レアル・サラゴサB、CEサバデル、セビージャ・アトレティコ、バレンシアCF・メスタージャとベルギーのKASオイペンに所属した。

    酒井宏樹 2009加入-12柏→12-16ハノーファー96→16-オリンピック・マルセイユ
    工藤壮人 2009加入-15→16バンクーバー・ホワイトキャップス→17ー広島
    伊藤達哉 -2015柏U-18→2015-ハンブルガーS
    指宿洋史 -2008柏U-18→09-11ジローナFC(09-10 レアル・サラゴサB、10-11CEサバデル)→11-13セビージャ・アトレティコ(12- 13KASオイペン)→13-14バレンシアCF・メスタージャ→14-17新潟→17途中-千葉



    他にも、大谷とアカデミー同期の斉藤誠司は海外10ヵ国のプロリーグでプレー、5ヵ国のチームで指導者として、ブラジルではスクール経営者として活動している。中山、手塚と同期となるニュージーランド国籍のマイケル・デン・ヘイジャーは自ら志願し、日本に留学しながら柏レイソルアカデミーに加入、現在はオランダのNECナイメヘンに所属している。他多数のアカデミー出身選手が、アジア、欧州など様々な国で『柏から世界へ』を実践している。